ガラにもないないけれど…と前置きしつつ…
最近の話題の一つに、八ッ場ダムの問題がある。
工事を中止するのか、継続するのか、
地元を巻き込み大いに揺れている。
すでに巨額の資金を投じているが、
日本全体という大きな視点から考えたとき、
建設中止の方がメリットを生むという政府の判断。
一方、先般行われた北ロータリー杯。
○○心と秋の空よろしく不安定な天気の中、
なんとか各ブロックの決勝までこぎつけたところで雷発生。
問答無用の即中断、選手はハウスへ避難の指示。
この先の不安定な天候を予測することは困難であり、
選手の安全・健康を考慮したとき、
決勝は中止すべきという関係者の判断。
ダム建設と少年サッカーを比較するのは、
ちょっと無理があるかもしれないが、
どちらも「何を優先させるのか」「何が大事か」ということで、
判断は大きく変わる。
八ッ場ダムの場合は、地元より国益であり、
サッカー大会の場合、大会の完遂ではなく選手の安全である。
当たり前のようだけれど、自分のような凡人にはなかなか難しい。
なぜなら、そこに妥協や情が入り込むと、
判断は迷い・鈍り・遅れてしまうから…
初志を貫き通す強さが必要なんだよねぇ~
判断は、計画に変化が生じたときに必要とされる。
順調なとき、何もないときには、あまり要求されない。
では、判断する際に大切なことはなんだろうか?
ボンクラ頭ながらに、次の三つを
“事前にハッキリさせておくこと”ではないかと思う。
1つ目は、当初の目的と具体的な成果。
2つ目は、活動中のトラブル予測と対応。
3つ目は、責任の所在と責任者の自覚。
スタートとゴールが明らかだと、途中で迷いにくく、
不測の事態を想定しておけば、迅速で的確な判断がしやすい。
最も重要かなって思うのが、
どこの誰が判断をし、いざというとき腹をくくるかを、
周りも本人も認識しておくこと。
誰も判断しない場合、悲劇が待っている場合が多い。
ダム建設だろうがサッカーだろうが、
万事に共通する話なんじゃないかなぁ~
おおよその物事は、なかなか順調には進んでくれない。
結果、多かれ少なかれ判断しながら生きている。
デジタル的に白黒決めることができればスムーズなのだが、
自分はアナログ的になってしまうことが多い。
まぁ~ただ、川の流れのように、多少蛇行しつつも、
目的地までしっかり進めればいいんじゃないかと、
言い訳がましく思うのですね。
無駄のように見える回り道も、
以外と人の世には必要なもの。
多すぎる自分はちょっと反省すべきですが・・・
(ちなみに八ヶ場ダムの問題に関しては、個人的に
賛否ノーコメントです)
再見!